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小説のブログです!

愛ならどこにあっても構わない(2)

由希子とはあのカフェで出会って二週間後にデートをした。冬の日曜日の昼に、渋谷で待ち合わせをして映画館に入った。フランスの古い映画だった。彼女は映画鑑賞が趣味で、特に恋愛物が好きだった。女優の名前、俳優の名前はたくさん言うことができたし、愛着のある映画もあるみたいだった。僕にはよく分からなかったが、趣味が良いと思った。映画館を出ると、ブティックへ行った。そこで由希子にカシミアのマフラーと毛糸の手袋を買ってあげた。どちらもよく似合っていた。

道玄坂のイタリアンレストランへ行き、ワインをあけた。僕たちはすっかり意気投合していた。久しぶりに、酔っていたし、幸せな気分になっていた。

「あなたがきっと何を考えているのか、分かるわよ」由希子は頬を赤らめながら、言った。彼女は僕の目を見つめた。

「いったい何だと思う?」

デートの後半には、打ち解けていたのですっかり敬語が取れていた。距離が一段と近くなっているような気がした。

「それは私と考えていることが一緒なの。私たちはぴったりとフィットしているのよ。心が、あるいは気持ちが」

「由希子は恋人がいないの?」

「ちょっと前に、別れてしまってね。酷い男だったわ。自己中心的で、利己主義で、私の心を踏みにじっていくの」

「別れてどのくらい経つの?」

「二週間くらいかな・・・・・・。よそに女の子がいたの。他にも理由はあるのよ、ちょっと今は言うことができないけどね」

彼女は寂しさを打ち消すように笑顔を作った。目には微かなひかりがあった。

「あなたには恋人がいないの?」

「もう何年もいないよ」

「どうしてかしら?」

「どうしてだろうね」僕は苦笑した。彼女は髪を梳いた。

素敵な夜だった。そのあとはショットバーへ行って、カクテルを何杯か飲んだ。ジンフィズとか、シンガポール・スリングとかそういった類いのものだ。酔った由希子は、いっそう美しかった。頬が赤らみ、かわいらしい女の子となった。細い、シルバーのネックレスが控え目に輝いていた。僕はそのひかりをじっと眺めていた。僕の頭のなかに、重みがあった。鉛のような重みだった。何かを思い出しそうになったが、それが何であるのか分からなかった。きっと、大事な何かだ。僕は由希子の隣にいながら、その何かについて考えていた。時間は親密に過ぎ去っていった。

その日の夜は、十一時過ぎに別れた。僕は新宿方面の電車に乗り、彼女は東京方面の電車に乗った。別れ際に、今日は楽しかったとかそういったことを言った。彼女は笑っていた。心臓は相変わらず高鳴っていたし、僕の心は温もっていた。マンションに戻ると、僕はグラスにミネラルウォーターを注いで、胃のなかに流し込み、煙草を吸った。部屋はしんとしていたので、音楽をかけた。

ミネラルウォーターを飲み終えると、シャワーを浴びた。髪と身体を隈無く洗った。熱

いお湯を浴びていると、気持ちが明瞭になっていった。よりクリアに、よりはっきりと、意識は立ち戻っていった。髪を乾かして、スマートフォンを見ると、由希子から着信があった。僕はかけ直した。

「もしもし」と彼女は言った。

「祐介だけど、電話した?」

「うん。したよ。今日のお礼が言いたくて」

「僕の方こそ楽しかったよ、ありがとう」

「私たち、これから付き合っていかない? もしあなたさえ良かったらだけど。気が合う

し、相性が良いみたい」

僕は一瞬戸惑った。微妙に間が空いた。電話口はしんとなった。

「ごめんなさい、駄目よね。私、学生だし、あなたは社会人だし」

「そんなことはないよ。付き合おう」

「ありがとう、それじゃまだ少し酔っているから、私は寝るね。おやすみなさい」

おやすみ、と僕は言って、電話を切った。身体には奇妙な脱力感があった。僕はソファに腰を下ろした。そして、目を閉じた。暗がりの視界のなかへ、自分を入り込ませた。その闇の先には、のぞみがいた。僕は首を振った。

 

のぞみは頭が良かったのに、僕と同じ大学へ通った。中堅の私大で、特徴のない大学だった。就職に強いわけでもなければ、スポーツに優れているわけでもなかった。僕は理系だったので、さすがに同じ学部というわけにはいかなかったが(彼女は社会学部を選択した)、昼食を共にすることが多かったし、帰りは待ち合わせてカフェへ行ったり、図書館へ行ったりしてデートを繰り返した。その頃には、のぞみの両親とは仲が良くなっていて、食事をしたりすることもあった。父親は建築関係の仕事で、母親は小学生向けの英語の先生だった。府中市に一軒家を持っている。成績優秀な弟が一人いた。

「のぞみの成績なら早稲田とか慶応とか狙うことができたと思うけど、本当に僕と同じ大学で良かったの? 後悔はしていない?」

「別に大学の名前とかブランドに興味がないの。どこだって学ぶことができるし、この大学も悪くはないわよ、居心地はいいわ。先生は親切だし、生徒は善良だし」

大学のカフェテラスで僕たちはのんびりとしていた。季節は秋だった。しかし、風は温もりを失っておらず、心地良かった。

「何かを言おうと思っていたのだけど、何だったのか忘れてしまったよ」その先の言葉が取り払われたように、浮かび上がってはこなかった。僕はいったい何を言いたかったのだろう、不思議だった。

彼女はにっこりと笑った。

「あなたは物事を深く考え過ぎるのよ、ときには考えないことも大事よ。忘れるくらいがちょうど良いと思うの」

「君だって、物事を深く考えている」

「あら、そんなことないわよ。案外、ボーッとしているわよ。天然じゃないけどね」

  僕は笑った。彼女はまた笑った。

「祐介は将来私を養ってくれるんだよね?」

  その言葉に、僕はドキリとした。「何を言っているの?」

「酔っ払って言っていたわよ、『のぞみ、結婚しよう! 俺に任せておけば大丈夫だ』って。まったく、雰囲気も何もないんだから。もしかして、記憶がないの?」

僕が頷くと、彼女は呆れたような表情を浮かべた。そして、深いため息をついた。

「プロポーズは時間と場所を選んで、しっかりとまたやってね。本当に、馬鹿なんだから」

「反省しているよ」

「本心よね?」

僕はもう一度頷いた。

「これでも私はあなたのことを頼りにしているんだから。私は弱いの、本当に弱いのよ。心細いし、頼りになる人が必要なの。私を精一杯守ってね」

分かった、と僕は言った。

「でもね、私に何かあったら、代わりの女の子を見つけなさい」

その言葉は不意だった。

「何かっていったい何が?」

「不慮の事故に遭ったり、何らかの理由で植物人間になったり、そういったこと。つまり、私が私でなくなったら、そのときは違う女の子と付き合っていいわよ。愛してくれるのは本当に嬉しいけどね、続かないと思うの。今のうちに、私の意思表示をしておこうと。人

生、何があるか分からないじゃないの・・・・・・」

「どうしてそんなふうに思うんだい?」

「どうしてだろう? 毎日怯えているの、怖いのよ。日々を送っていくことが。目に見えないものに、時々怖くなるの」彼女の声は弱々しくなっていた。「罰が下るような気がするわ」

「君がいったい何をしたって言うんだ?」

彼女は静かに笑っていた。「昔ね、私には罪があったのよ、あなたにも言うことはできないけど。神様はちゃんと見ているから、しかるべき罰があると思っている・・・・・・」

 その先、彼女は何も言わなかった。僕は彼女が犯した罪について考えてみたが、さっぱり分からなかった。